「子育て」って、本当に正解がわからないですよね。
初めての子どもを育てていると、日々の出来事ひとつひとつに悩んだり、不安になったり。
時には夫婦で意見がぶつかってしまうこともあると思います。
僕たち夫婦もそうです。
僕たちの場合はどちらかが強く意見を言うタイプではなくて、お互いに”察する”ような関係。
だからこそ、正解がないことに対しては、余計に難しく感じることがあります。
「これでいいのかな」
「もっと違う関わり方があるのかもしれない」
そんなことを、何度も何度も考えてきました。
「育児」の考え方
以前の記事で、僕は「家事のルールを決めない」という話をしました。
でも「育児」に関しては、わが家にはひとつだけ方針があります。
それは――
のびのびと、自分の芯を持った子に育つように。
これだけです。
どんな性格になっても、どんな道を選んでもいい。
ただ、「自分の考えを持てる人」に育ってほしい。
そのために僕たちができるのは、“環境を整えて見守ること”だと思っています。
失敗したって良い。泣いたって良い。
ただその後のケアは大人が責任をもってきちんとする。
どんなに些細な失敗でも、子どもにとっては初めて経験する大きな壁かもしれない。
その壁の乗り越え方を、そっとアドバイスしてあげるのが、親の役目だと思うから。
「子どもの行動」には、ちゃんと理由がある
子どもが思うように動いてくれないとき、つい感情的になりそうなとき。
そんな時こそ、少し立ち止まって考えるようにしています。
「今の僕の言動が、子どもからしたらどう感じるだろう?」
「この子は、どんな気持ちでこんな行動をしているんだろう?」
たとえば、おもちゃを片づけない。
理由を聞くと、「あとでまた遊ぶから」って言う。
大人からすれば「片づけて」で終わる話だけど、
子どもにとってはまだ「自分の世界の途中」なんですよね。
無理に止めたり、押しつけたりするよりも、
その「子どもの世界」をちょっと覗いてみると、
意外な”気づき”がたくさんあります。
先日、息子が遊んでいたおもちゃを片づけずに寝てしまった夜のこと。
親だけで片づけようとしたら、
何でもない脇役のような人形が、なぜかとても丁重に扱われていて。
段ボールの箱がベッドになっていて、
その上には緩衝材がきれいに敷かれ、人形が寝かしつけられていました。
きっと本人の中では、ちゃんとストーリーがあって、
その世界の中で一生懸命に誰かを大切にしていたんだと思います。
子どもの発想って、
大人が思っている以上にやさしくて、豊かなんですよね。
そんな世界を見つけると、
なんだか片づけるのがもったいなくて、ついそのままにしておきたくなります。
「しつけ」と「自由」のバランス
ところで、「のびのび育てる」と聞くと、
「何でも自由にさせている」と誤解されることがあります。
でも、わが家の“のびのび”にはルールがあります。
それは、「人を傷つけない」「自分で責任を取る」の2つだけ。
この2つさえ守れていれば、あとは自由でいい。
それが、僕たちが思う“のびのび”です。
正直、大人の目線で見れば「そんなことして大丈夫?」と思うこともあります。
でも、子どもにとってはそれが「大きな冒険」だったり、「初めての挑戦」だったりする。
失敗も、転んだことも、全部”学び”なんですよね。
僕たち親も、まだ成長途中
親になると、「ちゃんとしなきゃ」と思う瞬間が増えます。
でも、僕自身、まだまだ”父親になりきれていない”と思うことも多いです。
感情的に怒ってしまった日もあるし、
「もっと優しく言えばよかったな」と反省することもあります。
だけど、そんな日があってもいいのかなと思うんです。
子どもが日々成長しているように、
親も一緒に少しずつ成長していければ、それでいい。
正解がないからこそ、面白い
子育てに「正解」はないけれど、
きっと「間違い」もないのかもしれません。
だって、どの家庭も、どの親も、
「子どもの幸せを願っている」という出発点は同じだから。
僕ら夫婦も、完璧ではないけれど、
その時その時に「これがいい」と思ったことを選びながら、
ゆるく、楽しくやっていければと思っています。
おわりに
子育てって、想像以上に難しくて、でもそれ以上に楽しい。
思いどおりにならないことも多いけど、
それも含めて「家族の時間」なんですよね。
完璧じゃなくていい。
たまにぶつかって、たまに笑って。
そうやって少しずつ、「わが家の形」ができていく。
明日も、ゆるっといきましょう。



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